『はざまのローザは わすれない』
あとがき

目次

はざまのローザは わすれない

電子版についての注意事項

この度は『はざまのローザは わすれない』をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。

本作は、2015年冬のコミックマーケットにて有料頒布した同名の絵本作品を電子化したものです。

昨今の新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に伴う休校措置、および一部地域での外出自粛といった動きを受け、このたび無償公開といたしました。

本作品の一切の著作権は蜂八憲、及び、山本すずめに帰属します。

また、下記注意事項をご確認のうえ、お守りくださいますようお願い申し上げます。

5年を経て初めてのあとがき

僕は、自分の過去の作品をたまに見返すことがある。

大抵の場合は「ここ直したいなぁ〜」とか「もっとああしたかった、こうしたかった」という、制作当時の個人的な感情が湧き上がってくるのだが、約5年ぶりに読み返した『はざまのローザは わすれない』は、非常に穏やかな心持ちで読み返すことができた。

 

もちろん直したいところはあったはずだ。もっとああしたい、こうしたい…という思いは、創作をやっていれば付きまとうものだから、この作品だって同じように思っていたはずである。

…が、思い返してみても制作時の記憶がほとんどない。

かろうじて、蜂八さんとキャラクターデザインについての打ち合わせをした記憶はある。

〆切に追われながら必死に制作していたからだろうか? まさか50ページもあったとは知らなかったし(知ってたはずなんだけど)。

 

でも、おかげさまでそういった個人的な感情を抜きに、客観的に振り返ることが出来た。

アナログ的な画風をデジタルで表現しようとしてたりとか、線や色の表現を変えて、空気感だったり動きを出そうと試みていたりとか。キャラクターも生き生きさせようと頑張っている。

もちろん蜂八さんのお話あってこそだけれども、どうやら、当時の自分はまあまあ頑張っていたらしい…という評価を下すことが出来た。

もしかしたら、こうやって見返す時に苦しい記憶を思い出さないよう、鬼が吸い取ってくれていたのかもしれない。

 

もともとこの本は見開きであることを前提に作られているので、大きいディスプレイをお持ちの方は、ぜひ見開きで眺めてみてください。

『はざまのローザは わすれない』を少しでも楽しんでいただけたのならば、とても嬉しいです。

この本を手にとってくださってありがとうございました。

2020年4月 山本すずめ

2015年制作当時のあとがき

自室のお掃除がてら、整理をしてみたりすると、色々出てきたりするんですよね。

いつ書いたかも分からないメモの切れ端とか、日記の断片とか……。

そういうものを思いもかけず目にすると、それまで忘れていたはずの記憶がぶわわっと蘇ってきたりするから不思議なものです。

今回の絵本『はざまのローザは わすれない』では、そうした“思い出”をテーマに、おはなしを創りました。

僕自身、昔の記憶はけっこう詳細に思い出せるほうなんですが、それでも、気付かないうちに記憶が薄れちゃっていることも歳をとるにつれて多くなったなあ、と思うんです。

だいたいそういう記憶って、あんまり自分にとっては嬉しくないものだったりして。

「くるしかった」「つらかった」ということはぼんやり思い出せても、「どうしてそんな気持ちになったんだっけ」という根っこの部分が霞んでいたりします。

良いことなのか、悪いことなのかは、わかりません。

人によっては「よかったね」と言うでしょうし、「それってどうなの」と苦笑する方もいるかもしれません。

さあどうなんだろう、分かんないや、というのが正直なところで。

ただ、良いか悪いかはさておき、「さびしいな」と思うのです。

「感動」というと、基本的にポジティブな文脈で使われることが多いですが、感情が動くという意味では、ネガティブなこともひとつの感動なんですよね。そうした心の動きを自分で忘れてしまうことが、とてもさびしいのです。

もちろん、良いことは多い方がいいし、悪いことは少ないほうがいいと思います。

けれど、それはそれとして。

通り過ぎていくかなしさやつらさも、できるだけ忘れたくないな、大事に抱えておきたいな……と思うのです。

『はざまのローザは わすれない』は、そういう“思い出”のおはなしです。

天地の狭間で夢みる少女と、思い出を糧にする鬼の、ささやかなおとぎ話です。

読んでくださった方に少しでも面白いと思ってもらえたら、「なんかいいよね」と思ってもらえたならば、書き手としてこれに勝る喜びはありません。

2015年12月 蜂八憲

5年を経て改めてのあとがき

早いもので、『はざまのローザは わすれない』を制作してから5年近くの歳月が流れた。

当初の「あとがき」でも書いたとおり、本作の根幹をなすのは「思い出」だ。

思い出を糧にする鬼と、記憶の色に染まる少女のおはなしである。

そう、記憶の「色」というのも重要なコンセプトだった。

絵本という頒布形式も相まって、すずめさんとはキャラクターのビジュアルもさることながら、特に色彩について普段以上に打ち合わせを重ねた憶えがある。素晴らしい数々の挿絵でビジュアルを彩ってくれたすずめさんに、改めて感謝を捧げたい。

──「何色だろう?」

電子版の制作にあたって本作を再読したとき、ローザを見てふと思った。

今の自分は何色だろう。

最期には何色になっているのだろう。

純色か中間色か、モノクロなのか、はたまた彼女のような虹色なのか。

刻々と移ろう「今」の色を表現するのは難しいものだ。

「最期」なんてなおのこと、今の自分に表す術はない。

必然、語れるものといえば「過去」の色ばかりになる。

この5年、個人的にも様々なことがあった。

悲喜こもごも、多くの出会いと少なくない別れがあった。

そうして内に蓄えられた、様々な色がある。

そして2020年4月現在、社会情勢に目を向ければ、新型コロナウイルス感染症が世界的な問題となっている。

状況は厳しさの一途をたどり、連日のようにコロナ関連のニュースが流れてくる。

「新型コロナ以前/以後」という言葉が、ほうぼうで囁かれていたりもする。

前を向かなければならない。向かざるを得ない。

でも、そんな今だからこそ、色々な思い出を──「以前」を振り返るひとときを忘れたくないと思うのだ。

いつか今が過去になり、未来が今になるとき、その営みは前を向く力になると信じている。

願わくば、この作品があなたの思い出のひとときになりますように。

5年後、各々の景色をともに笑顔で迎えられますように。

そして、本作を読んでくださった皆様にありったけの思いをこめて──ありがとうございました。

2020年4月 蜂八憲