超水道月報(2024.4月号)

こんにちは、超水道の蜂八憲です。

暖かさを通り越して一気に暑さが増してきた今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか。蜂八はだいたい元気です。

先月の超水道『ghostpia シーズンワン』のスプリングセールghostpia短編小説の簡体字・繁体字対応、そしてghostpia1周年記念LINEスタンプのリリース……と盛りだくさんでございました。まさに春一番さながら、怒涛の月でしたが──そうした諸々も一区切りつきまして。

超水道一同、おかげさまで今月は穏やかな日々を過ごしております。

ではでは今月の超水道月報、まずはメインの話題から!

SteamにてGWセールが始まりました!

 

Steamにて4/26 (金) より、ゴールデンウィークゲームフェスが始まりました。

今なら『ghostpia シーズンワン』が20%OFFの¥1,840と平常よりおトクにお買い求め頂けます!

「ghostpia、気になってたんだよね!」という方は、ぜひこの機会にどうぞ。「もう買ってるぜ!」という方々は、周囲にオススメしていただけましたら超水道の面々が跳びはねて喜びます。

ちなみに、yokaze レーベルのタイトルも絶賛セール中となっております。『アンリアルライフ』『World for Two』『MINDHACK』『OU』と錚々たる顔ぶれ。ぜひぜひ、こちらもお見逃しなく!

▼Steamページ
https://store.steampowered.com/publisher/yokaze/#browse

 

さてさて、今回の超水道月報はいつもと少し趣向を変えまして。

僕こと蜂八が最近体験した出来事についてお話ししたいと思います。

よろしければ、制作記事の箸休めとしてお付き合い頂ければ幸いです。

はじめに

「私にとってのビジュアルノベルは『おとなの絵本』なんです」

『ghostpia シーズンワン』のイベント出展のおり。

来場してくださった方のひとりが、そう仰っていました。

「個人的に、不思議と童心に返れるような感覚がありまして……それが好きで、ビジュアルノベルをよくプレイしているんです」

ghostpiaの絵本ライクなビジュアルがとても素敵、というお褒めの言葉も頂きつつ、僕は「なるほどなあ」と感じ入った記憶があります。

画像

実際、ビジュアルノベルにおける「絵」は不可欠な要素です。作品のイラストレーションは、その作品の方向性を決定づけ、ときに文章以上に「ノベル」のストーリーを雄弁に物語りもするからです。

それは『ghostpia』のような“デンシ・グラフィックノベル”はもとより、蜂八が現在手がけている文章主体の“デンシノベル”においても例外ではありません。

蜂八が前回執筆した記事では、イラストレーション担当の斑(ぶち)さんと「どんなビジュアルでいくか」を入念に進めている……ということをお話しました。その甲斐あって諸々の方針もぴたりと定まり、斑さんには春先からイラスト作業をがしがしと進めて頂いております。

 

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ちなみに「童心に返ることができる」と仰っていたその方は、お年を召されたダンディな紳士でした。

「“童心”とはいいますものの、私にとってはもう高校や大学時代、なんなら就職したばかりの頃も含めて“こども時代”みたいなもので……そうした若々しい気持ち、青少年期のわくわく感やほろ苦さとか、そういったものを最も思い出させてくれるのが、自分にとってはビジュアルノベルなんです」

蜂八としても興味深く、また素敵なお話でもあったので、鮮明に印象に残っています。

自分はそうした「おとなの絵本」を創っている身であるわけですが、このまえ「こどもの絵本」──それも乳幼児向けの「はじめての絵本」を選ぶ機会がありまして。今回は、そうした「絵本」にまつわるお話をさせて頂きたいと思います。

初めて読んだ絵本を憶えていますか

きっかけは、友人夫婦に第一子となる男の子が生まれたことでした。

出産祝いは何がよいか尋ねたところ、いわく「絵本が何冊かほしいな」とのこと。

ご希望とあらば、ということで、二つ返事で引き受けたわけです。

そこから「すでに持っている本と被らないように」と軽くヒアリングをしているうち、僕らはいつしか「思い出の絵本」の話に興じていました。

 

『はらぺこあおむし』『あおくんときいろちゃん』『ぐりとぐら』などなど……。

自分の幼い頃を思い起こしてみても、印象に残っている作品はたくさんあります。

 

『いたずら きかんしゃ ちゅう ちゅう』

バージニア・リー・バートン 文・絵 / むらおか はなこ 訳 (福音館書店)

 

『しろいうさぎとくろいうさぎ』

ガース・ウィリアムズ 文・絵 / まつおか きょうこ 訳 (福音館書店)

 

『だるまちゃんととらのこちゃん』

加古 里子 作・絵 (福音館書店)

 

懐かしく思う一方で、はたと気づいたことがひとつ。

 

──それらの本を『読んだ』のは、自分が何歳のときだったっけ……?

 

自分の記憶が正しければ、確か幼稚園の頃だったかと思います。

実際、上記の作品群の対象年齢を調べてみると、いずれも「3〜4歳から」とのことで。

しかしながら、今回の贈り相手は0歳児なのです。

『対象年齢』はあくまで目安とはいえ、(そして親による読み聞かせがメインになるとはいえ、)こうした絵本は少し早すぎるのかもしれず。将来を見越して今のうちに贈るという考え方も出来はするものの、やはり年齢に応じた好みというものはあるわけで。そうした好みに寄り添うことは、年齢が幼ければ幼いほど大切な気がしていて……。

だとすれば必然、プレゼントする絵本の判断材料は「当時の自分が読んで面白かったもの」ということになるのだけれど。

 

……さて、自分は0歳の時に何を読んでいたんだっけか?

 

絵本選びを本格的に始める段になって、僕は頭を抱えることとなりました。

振り返ってみれば、自分が0歳の時にどんな絵本を好んでいたか──そもそも、何の絵本を読んで(読み聞かされて)いたかすら、記憶にはまるで残っていなかったのです。

下調べとしてネットストアや絵本サイトを巡ってみることで、「0〜1歳児向け」の作品傾向をある程度掴めはしたものの、いまいちピンとくる感じはありませんでした。となればやはり、現物を実際に見てみるのが一番です。

 

ということで、いざ新宿の大型書店へ。

広々としたコーナーにずらりと並べられた、多種多様な絵本たち。形も大きさも実に様々です。縦長に横長、それに正方形、なかには丸型のものも。ポスターさながらの大判サイズもあれば、手のひらにすっぽり収まるような可愛いミニサイズもあり。

判型が一定そろえられた文庫本やコミックスに慣れた身からすると、なんとも新鮮に映るもの。一方で、絵本を手にとってみれば、そこには確かに懐かしい手触りがあり、遠い記憶がほんのりと浮かぶようで。

ひとつ、ふたつ……と見繕っているうち、いつの間にか4冊を抱えている状態に。最後にあと1冊を加えて、きりよく5冊としよう。そう決意したところで、目に留まった絵本がひとつ。

シンプルかつプリミティブな模様。ビビッドな彩色。

厚手のページをめくれば、模様たちが「もい」と鳴いていて……。

 

 

鳴いて……?

 

きみら背景の模様じゃなくてキャラクター(登場人物)だったんか!

 

惹かれるものがある一方で、率直にいえばためらう気持ちもありました。

躊躇した理由は大きく二つ。

 

ひとつは、キャラクターの造形がいわゆる「可愛らしい」デザインとは一線を画していること。

愛らしい要素は随所に散りばめられています。ただ、見ようによってはホラー作品で主役を張れるポテンシャルを感じさせる風貌でもあります。もしかすると、赤ちゃんが怖がって泣いてしまうかもしれないな……?

 

ふたつめは、この絵本からストーリーらしきストーリーが読み取れなかったこと。

載っているテキストとしては、彼らの「もい」という台詞のみで、ほかに文章らしき文章は見当たりません。まさしく「絵」本といった趣です。もちろん、絵のみであってもサイレント映画さながらに物語を感じる作品は多々ありますが、この絵本についていうなら、そうしたストーリーの連続性はどうにも見出せませんでした。絵本を「情操教育に役立つもの」と定義するなら、多少なりともストーリーはあったほうがベターなのではないか……?

 

ただ、ふと思ったのです。

それはあくまで、どこまでいってもおとなの所感にすぎないのでは?

自分は0歳児の頃に読んだ絵本を憶えていない。ゆえに、赤ちゃんと同じ目線でオススメをすることはできない。だからこそ、おとなの経験をふまえ、今こうして良さそうな本を見繕っている。

しかしながら今の自分は、「赤ちゃんを喜ばせたい」というよりは「赤ちゃんに読ませたい」に重きを置きすぎていやしないか? もっというなら、シナリオライターのはしくれとしての、物語主義が前面に出過ぎていやしないか?

 

それよりはむしろ──この絵本に直感的に心惹かれた、その事実が重要なのではないか?

 

たぶん、絵本コーナーを10往復くらいはしたんじゃないでしょうか。傍から見れば、だいぶ不審人物ぎみだったことは否めません。ともあれ、こうしてようやく最後の一冊を選び終え、友人夫婦に無事プレゼントできたのでした。

 

それがおおよそ半年前のこと。

そして先日、その友人家族と遊園地に遊びに行く機会がありまして。

ベビーカーを押しての道中、電車で移動する局面があったのですが、やにわに赤ちゃんがむずかりはじめたんですね。

そこで、奥さんがベビーカーからすっと何かを取り出しました。

「あっ、それ……!」

 

『もいもい』

市原淳 作 / 開一夫 監修 (ディスカヴァー・トゥエンティワン)


 

そう、それは僕が誕生祝いに贈った──そして最後の最後まで選ぶのに迷った一冊。

「この子のお気に入りなんですよね」

そう言って、絵本を開く彼女。すると、間を置かず、赤ちゃんの表情が緩むのがわかりました。つい数秒前まで「泣くよ! 今からギャン泣きするからね!」と言わんばかりだったしかめっ面はどこへやら──んふんふと満ち足りた眼差しを紙面に注いでいるのです。

聞けば、ご自宅に数ある絵本のなかでも、この絵本をダントツでお気に召しているとのことで。

「絵本をきれいに保管できればいいんですけど、赤ちゃん相手だと、なかば諦め気味ですね……」

苦笑交じりに語る奥さん。確かに、よくよく見れば、厚手のボードブックには細かな傷やヘコみがところどころにあり、その歴戦ぶりを物語っています。

おそらくはきっと自分にも、それくらい慣れ親しんだ絵本があったのだろうな……と思ったところで、はたと気づきます。ああ、だからこそ「はじめての絵本」というものは、自分が物心ついた頃にはもう家に残っていない、そういうものかもしれない。特に、お気に入りであればあるほどハードに扱われるし、裏を返せばそれだけ劣化も早いわけで──乳幼児期の衣服やおもちゃと同じく、成長してから気付いたときにはもう手元にない、ということは往々にしてあるのかなと。

どんな分野であれ、作品づくりにおいて「記憶に残る」ことを願うクリエイターは多いかと思います。そして僕自身、まさにそういうタイプの書き手だと自認してもいます。だから、絵本選びの際、自分が初めて読んだ絵本を思い出せないことに気づいたときは、一抹のさみしさを覚えたのです。

もっというなら、「初めての絵本」が抱える皮肉について、ということになるでしょうか。人生で初めて好きになった絵本があっても、赤ちゃんだった当人にはその記憶が残っていない。その「初めて」のタイミングが、人生においてあまりにも尚早であるがゆえに──。

ただ、だからといって、かなしいことではないのだなと、絵本で喜ぶ赤ちゃんの笑顔を見てそう思ったんです。

「初めて読んだ絵本は?」という問いは、いうなれば「初めて食べた離乳食は?」という問いに似ているかもしれません。この子がたとえ憶えていなくとも、赤ちゃんの頃に作品を楽しんでいたことは(ひいては両親が救われていたことは)揺るぎない事実だったわけで。

そういう意味では「初めての絵本」を憶えているのは、読む当人の赤ちゃんよりもむしろ、周囲のおとなたちなのでしょう。忘れられない、というよりは、忘れたくない……そうした種類の、ささやかで大切な記憶として。

僕にとって今回の絵本選びは、そうした「はじめて」の記憶に立ち会うことができた幸運な出来事でした。

おわりに

絵本のことを書いていて思い出したのですが……

実は昔、超水道は絵本を制作したことがありまして。

それがこちら、『はざまのローザは わすれない』です。

2015年冬のコミックマーケットにて有料頒布した作品でして、2020年4月より電子版を無償公開しております。(電子版公開4周年だー!)

50Pフルカラー。文は蜂八憲、絵は『ghostpia』でおなじみ山本すずめさんです。

見開きページでの収録となっておりますので、大きなディスプレイで閲覧されますとよりお楽しみいただけるかと思います。連休のおともに、お気軽にDLいただければ幸いです。

 

はざまのローザは わすれない【電子版】 | 超水道BOOTH支店

https://chosuido.booth.pm/items/2019169

 

あらすじ

天地の狭間に、ただよう浮舟。
そこには、ひとりぼっちの少女が住んでいた。
ローザ・ヴェンデラ。
白い空と、黒い地面をながめながら、彼女は思う。

──「いつか どこかへ いきたいな」

そんなある日、ローザの前にひとりの女が現れる。
白黒の翼をもつ「吸憶鬼」。
記憶を糧にするという彼女は、ローザを旅にいざなう。
鬼のお目当ては、ローザの思い出だった。

“よい思い出をいただくときは あなたが死ぬ時になるでしょう”
“それまでは わるい思い出をいただきたいのです”
“あなたは よい思い出だけをたずさえて 生きていけるのです”

──「わたしと 灰色のしあわせを さがしにいきませんか?」

吸憶鬼とともに、天地の国々をめぐるローザ。
うれしいことに出会って、かなしいことを忘れて。
ついに、灰色のこころを手に入れたのだけれど──。

 

サンプル

 

ではでは、今回はこのへんで。

だいぶなが~くなってしまいましたが、ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

次回の記事もどうぞお楽しみに。蜂八憲でした。