大学時代、平和真はサークルの先輩・兼園香に恋をした。
告白を機に、二人の関係は急速に深まり、そして止まる。
傍から見れば恋人同然。しかし、その実態は友人のまま。
香への想いを忘れるため、平は彼女が厭う喫煙を始める。
いつしか煙が唇に馴染み、日常の一部となった頃のこと。
社会人となった平は、喫煙所でひとりの女性と邂逅する。
目まぐるしい日々のなか、次第に彼女に惹かれていく平。
想いを告げた平に彼女が提示した条件は「禁煙」だった。
順調と思われた恋路は、しかし予想以上に険しくて──。
絶えたはずの紫煙。それでも、火種はいまだ燻り続ける。
そうして彼は知る。寂しさにも、熱があるということを。
彼はまだ、知らない。その温もりが示す、本当の名前を。
リリース : 2025年9月22日
価格 : 無料
ジャンル : デンシノベル
プレイ時間 : 約2時間
プラットフォーム : iOS, Android, Windows, Mac(Webブラウザ上で動作)
対応言語 : 日本語
推奨年齢 : 15歳以上(男女のスキンシップ等に関する文章表現を含む)
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『Keep Only One Loneliness』はどういう物語なのか。
おそらくは表題やあらすじからお察しの方も多いかと存じますが、本作は「寂しさ」を題材としたお話です。より具体的に申し上げるならば──本作は寂しさを肯定する物語である、ということになります。
個人的なお話になりますが、僕にとって「寂しさ」という感情は、昔から……それこそ子供の頃から「特別なもの」でした。ただ、それは決して、肯定的に捉えていたわけではありません。ならば否定的に捉えていたのかというと、そうでもないのです。
「分からない」がゆえの特別視。一言で言えば、そういうものでした。
* * *
──「おまえってさ、寂しそうに『見えるだけ』だよな」。
上京したての大学一年生の頃、友人たちからそんなふうに評されたことを覚えています。「なんだそりゃ」と茶化しつつ、同時に「またか」と思ったものでした。
そういえば、地元でも似たようなことをよく言われたな。
きまって「そういえば、蜂八ってさ」と前置きされたうえで……。
──「思ってたよりもアツいんだね」
──「思ってたよりもアクティブじゃん」
──「思ってたよりもおもしれーやつだなーって」
思い返してみれば、彼らの言う「思ってた」自分像のベースには「寂しそう」があるようでした。目の前の彼にいたっては「寂しそうに『見えるだけ』」なんて言うけれども──そんなの当たり前じゃないか、と思ったものです。だってそもそも、僕自身がまったく「寂しい」とは感じていなかったのですから。
……はて、自分は「寂しそう」に見られるのが嫌なのだろうか? ──いや、別に。これまでの学校生活においては、損するよりもむしろ得したことのほうが多かった気がするな。相手が「寂しそう」と予めハードルを下げてくれて、自分は「ふつう」に振る舞うだけで、自然と加点評価がなされていって……。ポジティブに転じやすいデバフって、実質的にはバフなんだよな。これはアレだ、「捨て犬を拾うヤンキー」理論だ。ヤンキーではなく犬の側──「拾われやすい」という意味において。たとえば、一人で昼食をとっていると、「寂しそうじゃん! こっちで一緒に食おうぜ!」とお誘いがかかる、そういうやつ。この友人たちにしたって、交流のきっかけはまさにそんな感じだったな……。
そんなふうに、ひとり納得した憶えがあります。
ただ、同時に違和感も覚えました。寂しくないのに、まずもって「寂しそう」と見られるのは、一体全体どういうわけなのか。実態と印象にそれだけの差分が出てしまうことが、どうにも不思議で仕方なかったのです。
「分からない」と改めて痛感しました。一方で「分かった」こともありました。いや、「ようやく自覚した」といったほうが適切かもしれません。
──寂しさというものに対して、どうやら自分と周囲とでは、感覚に大きな隔たりがあるらしい。
* * *
周囲が「寂しい」と評することも、自分にとってはそう感じられないのが常でした。頭では理解できても、どうにも共感が伴わないのです。
だから「寂しさ」にまつわる相談を受けたとしても「そうなんだね」とただ傾聴することしかできませんでした。今にして思えば、相談する側としては(結果論として)理想的な姿勢だったと言えるかもしれません。ただ、相談を受ける側の自分としては、そのたびに己の力不足を嘆いたものでした。これがもし、喜怒哀楽に関する相談だったならば「わかるわかる!」と寄り添うことができたはずなのに、と。
そうした感慨がコンプレックスへと転じるのに、そう時間はかかりませんでした。「もしかすると、自分には人として大事な何かが欠けているのではないか?」──それが、大学2年に進級したときの、率直な心境でもあったのです。
そんな当時の自分にとって、唯一「寂しさ」を感じられる事柄といえば、喫煙くらいのものでした。この時点で、すでにお察しの方もいらっしゃるかもしれません。吸っている最中ではなく、吸った後……いわゆる「口寂しさ」というものを、当時の僕は心の支えとしていたのです。物理的な不在や、満たされない感覚。それらを寂しさと呼ぶのならば、タバコはまさにおあつらえ向きのアイテムでした。
「そうだよな、寂しいってのはこういうことなんだ」──そんなふうにして、僕は安心することができたのです。それがたとえ、単なるニコチンの作用にすぎなくとも。
……所詮、寂しさとは「依存」なのかもしれない。
……だとすればもう、分からないままで構わない。
……そんなもの、タバコだけで事足りるのだから。
そんな諦めを抱きかけた、大学3年の頃。
いつものようにタバコを吸いながら、ふと気付いたんです。
ああ、寂しさとは何も「依存」だけではなかったのだ、と。
詳細ないきさつは、本編の「あとがき」に譲りますが──それは、当時の自分にとって大きな衝撃であり、同時に、抱えていた数々の疑問が氷解した瞬間でもあったのです。
「分からない」のではなかった。いつも、いつでも、そこかしこに寂しさはあったはずだった。ただ、ほんとうに「気付かなかった」。ならば自分はこれまで、どれだけの「寂しさ」を見落としてきたのだろう──?
自分にとって、寂しさは特別な感情でした。それは冒頭に記した通りなのですが、その時こそが、その「特別さ」の意味合いが変わった瞬間だったのです。
──僕が超水道作品と出会ったのは、ちょうどそんな頃のことでした。
* * *
僕は、超水道作品が好きです。『森川空のルール』に始まり『ghostpia』にいたるまで、そこに通底する「超水道らしさ」に強く惹かれてきました。けれど、一介のファンであった頃には、それがどこから来るものなのか、まだ掴みきれてはいませんでした。
「超水道らしさ、って何でしょうね?」
もう10年以上も前になるでしょうか。
僕が超水道に加入して間もない頃、ミタヒツヒトにそう尋ねたことがあります。
単刀直入な問いに、彼は「たとえばの話なんですけど」と前置きをして、こう答えてくれました。
──今、バスに乗っているとします。ふと近くの座席に目をやると、小さな手袋がひとつ、ぽつんと落ちている。しかも、どうやら手編みらしい。それを見たとき、胸の奥にじんわりと寂しさや切なさが広がることって、ありませんか。
──きっと、持ち主は小さな子どもなんでしょう。今日はとても寒いけれど、その子は凍えてはいないだろうか。家に帰って手袋をなくしたことに気づき、泣いているのかもしれない。あるいは今この瞬間も、もと来た道を引き返しながら、手袋を探しているのかもしれなくて……。
──そんなふうに、寂しさや切なさから膨らむ想像を大事にするということ。それが、「超水道らしさ」なんじゃないかなと、個人的には思っているんですよね。
それを聞いて、僕はめちゃくちゃ良い話だなと思ったんですよね。色々と腑に落ちましたし、「超水道に参加して良かったな」と嬉しくもなったのです。超水道は、「寂しさ」とそれに類する感情をとても大切にしているチームなのだなと。自分もまた、その「らしさ」を大事にしていこうと、そう思ったんです。
「昔の自分」の夢を見るようになったのは、それからのことでした。
「俺さ、あのとき寂しかったんだよね」
夢の中での彼は、決まってそう言うのです。その言葉通り、寂しげに。けれど同時に、とても嬉しそうな面持ちで。
夢というのは、とても便利なもので──「あのとき」と彼が言うだけで、そのときのことが「ああ、『あれ』ね」と流れ込んでくるわけです。いつかの記憶の断片。小学校、中学、そして高校、大学のあれやこれや……。
その記憶のなかに、今の自分が出てくることはありません。更にいうなら、超水道作品と出会ってからの自分、ひいては「超水道の蜂八憲」が現れることもないのです。それはきっと、僕が自分なりの寂しさに気付くようになったからなのだろうなと。
僕も、そういう作品を作りたいな、と思いました。
冷房が利きすぎた部屋で、誰もが「寒い」と口々にぼやいている。でも、自分だけがそうは感じていない。いたって普通……というかむしろ、やや暑いまである。でも、そんなことを言える雰囲気じゃない──そんな居心地の悪さを、昔の僕は覚えていたけれど。
ただ、それは「寂しかった自分」からみれば、まるで逆だったのか。僕が暑い暑いと言っていたから、「寒い」と言い出せなかったのか。実際、当時の自分は寂しくなかったけれど。決して強がっていたわけでも、認められなかったわけでもないけれど。ただ、ほんとうに、「寂しさ」が視界に入っていなかった。それはある意味、「見ないふりをする」よりも残酷なことだったかもしれなくて。
「寂しさ」に気付けなかった寂しさ──超水道における蜂八の出発点としては、そこがベースにあります。
本作『Keep Only One Loneliness』は、そうした「寂しさ」のお話です。
今一度、寂しさに向き合うこと。そうして、抱え続けていくということ。つめたさもぬくもりも、その変遷も、丸ごとひっくるめて──これまでのために、そしてこれからのために。そして願わくば、自分のつくるお話が、誰かにとっての「寂しさ」を見つめるきっかけになり、ひいては寄り添えるようなものであれたなら、と思うのです。
『Keep Only One Loneliness』が、誰かの心に届いてくれたなら──少しでも面白いと思ってもらえたら、「なんかいいよね」と思ってもらえたら。書き手として、これに勝る喜びはありません。
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
願わくば、このお話が貴方のお気に召す一服となりますように。