月刊超水道 2025年10月号

こんにちは、超水道の蜂八です。

秋の気配が近付いてきた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

蜂八はだいたい元気です。最近、タバコの消費速度がインフレ気味です。(1日1箱→2箱)

「超水道月報」あらため「月刊超水道」も早いもので第三号となりました。「月報」時代は更新日が月末、かつ同タイミングでの超水道生放送が定番だったので、チームの生態としては(スケジュール的な意味で)月末に向けて激アツになるのが恒例だったのですが──「月刊超水道」にて月半ば(15日)の更新となったことで、満遍なくアツくなりました。𝑨𝒍𝒘𝒂𝒚𝒔 𝒐𝒏 𝒇𝒊𝒓𝒆……🔥🔥🔥🔥

これからもホットなニュースをお届けできるよう超水道一同 頑張ってまいりますので、改めましてどうぞ宜しくお願いいたします!

というわけで早速ですが、ホカホカなお知らせをば。

新作デンシノベル『Keep Only One Loneliness』を9/22 (月) にリリースします!


先月号の記事で「9月中にリリース予定」とお伝えしていた本作『Keep Only One Loneliness』ですが……。

長らくお待たせいたしました。
今月、9/22 (月) 0時 にリリースいたします!

というわけで早速、作品情報の紹介から参りましょう。

Story - あらすじ

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大学時代、平和真(たいら かずま)はサークルの先輩・兼園香(かねぞの かおり)に恋をした。

告白を機に、二人の関係は急速に深まり、そして止まる。
傍から見れば恋人同然。しかし、その実態は友人のまま。
香への想いを忘れるため、平は彼女が厭う喫煙を始める。

いつしか煙が唇に馴染み、日常の一部となった頃のこと。

社会人となった平は、喫煙所でひとりの女性と邂逅する。
目まぐるしい日々のなか、次第に彼女に惹かれていく平。
想いを告げた平に彼女が提示した条件は「禁煙」だった。

順調と思われた恋路は、しかし予想以上に険しくて──。

絶えたはずの紫煙。それでも、火種はいまだ燻り続ける。
そうして彼は知る。寂しさにも、熱があるということを。
彼はまだ、知らない。その温もりが示す、本当の名前を。
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本作は、前作『short HOPE long Peace』に引き続き、タバコをテーマとした物語になります。これから初めてデンシノベルに触れるぜ!という方は「前作『short HOPE long Peace』を先にプレイしたほうがいいのだろうか……?」とご不安になられるかもしれないのですが、そこはご安心ください。どちらからプレイしても大丈夫です。

作中の世界観は前作と同一で、繋がりもございますが、内容としては本作単体でお楽しみいただけるものになっております。「繋がり」の部分について より詳細に申し上げるならば、本作の位置付けとしては前作『short HOPE long Peace』の前日譚でもあり後日譚でもある……といったところですね。ゆえにどちらからでも、気の向くままにお楽しみいただければ嬉しいです。

加えて、前作との比較で申し上げますと──今作はストーリーとしても、また表現についても、より「大人向け」の色彩が濃くなったように感じております。そうした面も含めて、個人的には今まで自分が書いた作品のなかで一番ドキドキしてもいます。

Spec - 詳細

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リリース                  : 2025年9月22日
価格                         : 無料
ジャンル     : デンシノベル
プレイ時間              : 約2時間
プラットフォーム    : iOS, Android, Windows, Mac(Webブラウザ上で動作)
対応言語     : 日本語
推奨年齢     : 15歳以上
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前作に引き続き、ブラウザベースでの無料展開となります。

デンシノベルに触れていただくハードルをなるべく下げたい、という想いのもと、デンシノベルシリーズではこのようなスタイルを採用しております。どうぞお気軽にプレイいただけましたら幸いです。

そして、お気に召しましたらSNSやブログでの感想、オススメなどしていただけると超水道一同たいへん喜びます。(それはもう飛び上がらんばかりに!)

Staff - 開発スタッフ

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著作・制作       : 超水道
企画・ディレクション  : 蜂八憲
シナリオ        : 蜂八憲
イラスト        : 斑
音楽          : 真島こころ
エディトリアルデザイン   : ミタヒツヒト
システムデザイン    : 山本すずめ
スクリプト       : 山本すずめ 蜂八憲
広報          : ミタヒツヒト
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今作も前作『short HOPE long Peace』に引き続いての布陣でございます。

真島こころさんの情緒豊かで素敵なピアノ、そして斑さんの儚げでうつくしい挿絵とともに、またお話をお届けできることを大変嬉しく思います……!

前作とはまた一味違う煙草の物語、どうぞご期待くださいませ!

作品トレーラーを公開しました!

昨日9/14(日)、本作のトレーラー動画を公開いたしました。

前作のトレーラーは横画面スタイルでしたが、今作は縦画面スタイルを採用。デンシノベルの作品スタイルが縦書きということもあり、より「らしさ」が感じられる仕上がりになったと思います。

たくさんの方々にご覧になっていただけたら嬉しいですね……!

 

 

今回のトレーラー動画の制作では、下記の皆様に多大なるお力添えをいただきました。この場にて、改めまして厚くお礼申し上げます。

 

音楽 :真島こころ ( @KIMINOOTO_PIANO )

動画 :あられ ( @arare_gc )

ナレーション :砂山哲英 ( @Tetsuhide_Jari )

制作協力 :インディー音声工房

 

とりわけ、あられさんには前作『short HOPE long Peace』のインタビュー動画に引き続き、大変お世話になりました。編集作業のなかで様々な魅せ方をご提案いただきましたが、そのたびにトレーラー動画としての強度がグングン上がっていくんですよね。間近で拝見しつつ「流石だ……!」と感服することしきり。

 

この記事で初めて超水道を知った方、ひいては「デンシノベルとは何ぞや?」と興味を持ってくださった方がいらっしゃいましたら、ぜひ以下のインタビュー動画をご覧くださいませ。「デンシノベルとは」が、まるっと分かる内容になっております!

 

そして早速、AUTOMATON 様にもトレーラー動画含めてご紹介いただきました。

ありがたい限りでございます……! 9月22日をどうぞお楽しみに!

 

 

[Keep Only One Loneliness まえがき]

リリースまで、残すところあと1週間……ということで。

今号では、作品にまつわるお話として「まえがき」をしたためることにしました。今作が蜂八にとって、また超水道にとってどんなものであるか。それをお伝えするためには、「まえがき」が最適な形なのではないか。そう考えまして、筆をとらせていただいた次第です。

さて、『Keep Only One Loneliness』はどういう物語なのか。

おそらくは表題やあらすじからお察しの方も多いかと存じますが、本作は「寂しさ」を題材としたお話です。より具体的に申し上げるならば──本作は寂しさを肯定する物語である、ということになります。

個人的なお話になりますが、僕にとって「寂しさ」という感情は、昔から……それこそ子供の頃から「特別なもの」でした。ただ、それは決して、肯定的に捉えていたわけではありません。ならば否定的に捉えていたのかというと、そうでもないのです。「分からない」がゆえの特別視。一言で言えば、そういうものでした。

 

* * *

 

──「おまえってさ、寂しそうに『見えるだけ』だよな」。

 

上京したての大学一年生の頃、友人たちからそんなふうに評されたことを覚えています。「なんだそりゃ」と茶化しつつ、同時に「またか」と思ったものでした。

そういえば、地元でも似たようなことをよく言われたな。
きまって「そういえば、蜂八ってさ」と前置きされたうえで……。

──「思ってたよりもアツいんだね」

──「思ってたよりもアクティブじゃん」

──「思ってたよりもおもしれーやつだなーって」

思い返してみれば、彼らの言う「思ってた」自分像のベースには「寂しそう」があるようでした。目の前の彼にいたっては「寂しそうに『見えるだけ』」なんて言うけれども──そんなの当たり前じゃないか、と思ったものです。だってそもそも、僕自身がまったく「寂しい」とは感じていなかったのですから。

 

……はて、自分は「寂しそう」に見られるのが嫌なのだろうか? ──いや、別に。これまでの学校生活においては、損するよりもむしろ得したことのほうが多かった気がするな。相手が「寂しそう」と予めハードルを下げてくれて、自分は「ふつう」に振る舞うだけで、自然と加点評価がなされていって……。ポジティブに転じやすいデバフって、実質的にはバフなんだよな。これはアレだ、「捨て犬を拾うヤンキー」理論だ。ヤンキーではなく犬の側──「拾われやすい」という意味において。たとえば、一人で昼食をとっていると、「寂しそうじゃん! こっちで一緒に食おうぜ!」とお誘いがかかる、そういうやつ。この友人たちにしたって、交流のきっかけはまさにそんな感じだったな……。

 

そんなふうに、ひとり納得した憶えがあります。

ただ、同時に違和感も覚えました。寂しくないのに、まずもって「寂しそう」と見られるのは、一体全体どういうわけなのか。実態と印象にそれだけの差分が出てしまうことが、どうにも不思議で仕方なかったのです。

「分からない」と改めて痛感しました。一方で「分かった」こともありました。いや、「ようやく自覚した」といったほうが適切かもしれません。

──寂しさというものに対して、どうやら自分と周囲とでは、感覚に大きな隔たりがあるらしい。

 

* * *

 

周囲が「寂しい」と評することも、自分にとってはそう感じられないのが常でした。頭では理解できても、どうにも共感が伴わないのです。

だから「寂しさ」にまつわる相談を受けたとしても「そうなんだね」とただ傾聴することしかできませんでした。今にして思えば、相談する側としては(結果論として)理想的な姿勢だったと言えるかもしれません。ただ、相談を受ける側の自分としては、そのたびに己の力不足を嘆いたものでした。これがもし、喜怒哀楽に関する相談だったならば「わかるわかる!」と寄り添うことができたはずなのに、と。

そうした感慨がコンプレックスへと転じるのに、そう時間はかかりませんでした。「もしかすると、自分には人として大事な何かが欠けているのではないか?」──それが、大学2年に進級したときの、率直な心境でもあったのです。

そんな当時の自分にとって、唯一「寂しさ」を感じられる事柄といえば、喫煙くらいのものでした。この時点で、すでにお察しの方もいらっしゃるかもしれません。吸っている最中ではなく、吸った後……いわゆる「口寂しさ」というものを、当時の僕は心の支えとしていたのです。物理的な不在や、満たされない感覚。それらを寂しさと呼ぶのならば、タバコはまさにおあつらえ向きのアイテムでした。「そうだよな、寂しいってのはこういうことなんだ」──そんなふうにして、僕は安心することができたのです。それがたとえ、単なるニコチンの作用にすぎなくとも。

 

……所詮、寂しさとは「依存」なのかもしれない。

……だとすればもう、分からないままで構わない。

……そんなもの、タバコだけで事足りるのだから。

 

そんな諦めを抱きかけた、大学3年の頃。
いつものようにタバコを吸いながら、ふと気付いたんです。
ああ、寂しさとは何も「依存」だけではなかったのだ、と。

詳細ないきさつは、本編の「あとがき」に譲りますが──それは、当時の自分にとって大きな衝撃であり、同時に、抱えていた数々の疑問が氷解した瞬間でもあったのです。

 

「分からない」のではなかった。いつも、いつでも、そこかしこに寂しさはあったはずだった。ただ、ほんとうに「気付かなかった」。ならば自分はこれまで、どれだけの「寂しさ」を見落としてきたのだろう──?

 

自分にとって、寂しさは特別な感情でした。それは冒頭に記した通りなのですが、その時こそが、その「特別さ」の意味合いが変わった瞬間だったのです。

 

──僕が超水道作品と出会ったのは、ちょうどそんな頃のことでした。

 

* * *

 

僕は、超水道作品が好きです。『森川空のルール』に始まり『ghostpia』にいたるまで、そこに通底する「超水道らしさ」に強く惹かれてきました。けれど、一介のファンであった頃には、それがどこから来るものなのか、まだ掴みきれてはいませんでした。

 

「超水道らしさ、って何でしょうね?」

 

もう10年以上も前になるでしょうか。

僕が超水道に加入して間もない頃、ミタさんにそう尋ねたことがあります。

単刀直入な問いに、彼は「たとえばの話なんですけど」と前置きをして、こう答えてくれました。

 

──今、バスに乗っているとします。ふと近くの座席に目をやると、小さな手袋がひとつ、ぽつんと落ちている。しかも、どうやら手編みらしい。それを見たとき、胸の奥にじんわりと寂しさや切なさが広がることって、ありませんか。

──きっと、持ち主は小さな子どもなんでしょう。今日はとても寒いけれど、その子は凍えてはいないだろうか。家に帰って手袋をなくしたことに気づき、泣いているのかもしれない。あるいは今この瞬間も、もと来た道を引き返しながら、手袋を探しているのかもしれなくて……。

──そんなふうに、寂しさや切なさから膨らむ想像を大事にするということ。それが、「超水道らしさ」なんじゃないかなと、個人的には思っているんですよね。

 

それを聞いて、僕はめちゃくちゃ良い話だなと思ったんですよね。色々と腑に落ちましたし、「超水道に参加して良かったな」と嬉しくもなったのです。超水道は、「寂しさ」とそれに類する感情をとても大切にしているチームなのだなと。自分もまた、その「らしさ」を大事にしていこうと、そう思ったんです。

 

「昔の自分」の夢を見るようになったのは、それからのことでした。

 

「俺さ、あのとき寂しかったんだよね」

 

夢の中での彼は、決まってそう言うのです。その言葉通り、寂しげに。けれど同時に、とても嬉しそうな面持ちで。

夢というのは、とても便利なもので──「あのとき」と彼が言うだけで、そのときのことが「ああ、『あれ』ね」と流れ込んでくるわけです。いつかの記憶の断片。小学校、中学、そして高校、大学のあれやこれや……。

その記憶のなかに、今の自分が出てくることはありません。更にいうなら、超水道作品と出会ってからの自分、ひいては「超水道の蜂八憲」が現れることもないのです。それはきっと、僕が自分なりの寂しさに気付くようになったからなのだろうなと。

 

僕も、そういう作品を作りたいな、と思いました。

 

冷房が利きすぎた部屋で、誰もが「寒い」と口々にぼやいている。でも、自分だけがそうは感じていない。いたって普通……というかむしろ、やや暑いまである。でも、そんなことを言える雰囲気じゃない──そんな居心地の悪さを、昔の僕は覚えていたけれど。

ただ、それは「寂しかった自分」からみれば、まるで逆だったのか。僕が暑い暑いと言っていたから、「寒い」と言い出せなかったのか。実際、当時の自分は寂しくなかったけれど。決して強がっていたわけでも、認められなかったわけでもないけれど。ただ、ほんとうに、「寂しさ」が視界に入っていなかった。それはある意味、「見ないふりをする」よりも残酷なことだったかもしれなくて。

 

「寂しさ」に気付けなかった寂しさ──超水道における蜂八の出発点としては、そこがベースにあります。

 

本作『Keep Only One Loneliness』は、そうした「寂しさ」のお話です。

今一度、寂しさに向き合うこと。そうして、抱え続けていくということ。つめたさもぬくもりも、その変遷も、丸ごとひっくるめて──これまでのために、そしてこれからのために。そして願わくば、自分のつくるお話が、誰かにとっての「寂しさ」を見つめるきっかけになり、ひいては寄り添えるようなものであれたなら、と思うのです。

『Keep Only One Loneliness』が、誰かの心に届いてくれたなら──少しでも面白いと思ってもらえたら、「なんかいいよね」と思ってもらえたら。書き手として、これに勝る喜びはありません。

 

ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
願わくば、このお話が貴方のお気に召す一服となりますように。

 

 

ではでは、また次の記事でお会いしましょう!
超水道の蜂八憲でした。